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「雑巾がけ」から見た小沢    岩見隆夫
歴史は繰り返すように見えて、厳密には違う。

1983年10月28日のことを鮮明に記憶している。東京のホテルオークラ、部屋のなかでは中曽根康弘首相と田中角栄元首相の会談が2時間近く続いていた。私たち報道陣は部屋の外でじっと待つ。

直前の10月12日、田中はロッキード事件(受託収賄罪など)で、東京地裁から懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を受けた。政界は騒然となる。自民党の福田、三木両派は、

「田中の議員辞職決議案を議運にはかれ」と要求、中曽根はそれを突っぱね、衆院議運委員長の小沢一郎に、「しっかりやれ」と命じている。

オークラ会談は、そんな緊迫した情勢下で、同期生(ともに47年の衆院選で初当選)の2人がヒザを交えたのだった。のちに中曽根が述懐したところによると、田中に、

「世論の動向、党内の空気から見ると、ここで君が大悟一番、自分で進退を決めるのが一番いい結果を生む。君の将来については、私も責任を持って守っていく」

と訴え、2人で涙を流したという。議員辞職のすすめ、しかし、田中はイエスと言わない。自民党はその年暮れの衆院選で敗れ、新自由クラブと連立を組まざるをえなかった−−。

田中判決から28年半、愛弟子、民主党の小沢一郎元代表が、ロ事件と似た金額の4億円の扱いをめぐり、1審無罪になる。有罪と無罪に天地の差はあっても、政界を激しく揺さぶる点では同じだ。

老舗の自民党政権は田中判決で危機に見舞われながら、単独、連立を通じ09年までさらに25年間続いた。だが、新興の民主党政権は小沢判決によって亀裂が深まりそうで、政権の行方に暗雲が漂っている。

この差はどこからきているのか。時代背景が異なる。そして、田中と小沢の人物の違いが大きい。同じ金権的でも、田中は調整型の人情家だったが、小沢は調整を嫌い、自我を前面に出し、しばしば非情である。

小沢裁判のキーマンだった元経理担当秘書、石川知裕衆院議員(北海道11区・当選2回・38歳)は、昨夏の「悪党−−小沢一郎に仕えて」(朝日新聞出版)に続いて、判決の1週間前、「雑巾がけ−−小沢一郎という試練」(新潮新書)を出版した。いずれもユニークな題名で、小沢の実像をどの証言よりも生々しく知ることができる。

石川は書生、秘書として小沢のもとで9年間、<雑巾がけ>をした。政界の俗語で、基礎的な鍛錬、勉強のことだ。

政治資金収支報告書の虚偽記載容疑で石川が逮捕されたのは10年1月15日、21日後に保釈される。だが、小沢と会う機会はない。「雑巾がけ」によると、

<向うが慰労するのならともかく、私のほうから出向いて「ご迷惑をおかけしました」という筋合いの話でもない>と考えたからだった。

<逮捕されてから半年以上経(た)って顔を合わせた時の小沢さんの第1声は、

「おう」の一言だけ。内心、「『おう』じゃないよ」とツッコミを入れたが、そんなことは口に出せない。……冷たいものだと思われるかもしれない。私だってそう思っている。しかし、口にはしなかった。怖いというのもあるし、言っても無駄だからだ>

特異な師弟関係である。弟子だけでなく、党、社会、国家、皇室に対する情が薄い、というのが長年、小沢を観察してきた実感だ。

それでも、かつて中曽根が<世論の動向>を第1の理由に田中の辞職を迫ったように、野田佳彦首相も毅然(きぜん)と対応すべきである。(敬称略)

杜父魚文庫
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