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「政党の新聞」いまと昔 岩見隆夫
新聞経営はむずかしいといわれるが、政党が発行する新聞(機関紙)にも苦難の歴史がある。長年、日刊紙を出しているのは公明、共産両党で、それを可能にしたのは組織力だ。製作コストも大変だが、配達する手足がないと成り立たない。

「公明新聞」があさっての4月2日、創刊50周年を迎える。公明政治連盟(公政連・公明党の前身)は1962(昭和37)年9月、東京・豊島公会堂で第1回全国大会を開いたが、席上、創価学会の池田大作会長(当時)が講演し、政治家に望む3点として、

「団結第一、大衆直結、勉強だ」

と述べたという。「公明新聞」第1号はこの第1回全国大会の5カ月も前に発行されたわけで、3点すべての支えに早くから新聞が準備されたことになる。公明党の結成は第1号のさらに2年半後、64年11月だ。

月2回刊で出発し、週刊を経て結党後すぐ日刊になる。井上義久幹事長は大卒後、同紙記者を7年勤め、赤松正雄衆院、長沢広明参院両議員も記者出身、党と機関紙の人的交流が密だ。

日刊紙の先輩は共産党の「しんぶん赤旗」で、28年2月1日の創刊、公明と逆で、結党の5年半後だった。84年の歴史を刻んでいる。創刊時は月2回刊で「赤旗」、セッキと呼んだ。戦前は弾圧のもと、何度か休刊を挟み、「アカハタ」を経て今の題字になる。

購読料が党資金の中心を占めた時期もあったが、最近は運営も楽でないらしい。しかし、公明、共産両党とも日刊機関紙ぬきの党活動はもはや考えられない。民主党も月2回刊の「プレス民主」(タブロイド判)、自民党は週刊の「自由民主」(同)を発行しているが、大版日刊紙の迫力には到底かなわない。

社民党は旧社会党から引き続き、「社会新報」を発行している。社会党時代は大版の週2回刊だったが、96年の党名改称の折、週刊に、さらに02年タブロイド判に縮小したという。

だが、旧社会党も日刊紙に挑戦したことがあった。日刊「社会タイムス」の第1号が発行されたのは52年3月1日、この朝、日刊化の中心人物だった江田三郎は、

「や、できたねえ」

と満面の笑みで同じ言葉を繰り返し、刷りあがったばかりの一束を抱え込んで社を飛び出していった。党本部に急いだのである。

社とは、東京・田村町のビルにできたばかりの株式会社・社会タイムス社だった。社長に青野季吉文芸家協会会長、専務が江田、取締役に社会学者の清水幾太郎、総評の高野実事務局長ら、監査役が鈴木茂三郎委員長。

52年といえば前年、社会党は講和・安保両条約承認の賛否をめぐって左右に分裂したが、革新陣営は高揚期にあった。左派の江田はまだ44歳、すでに社会党のホープで、日刊紙の発行を着想する。

編集局には風見章、宇都宮徳馬、安部公房、太田薫、平塚らいてう、松岡洋子ら進歩的文化人が次々現れサロン化したが、経営は苦しい。

江田は資金調達から販売・配布、広告と馬車馬のように一人で駆け回った。朝早く出社すると便所の掃除までやり、印刷工場にも顔を出す。しかし、7万部ぐらいの発行部数がたちまち3万部に落ちた。日刊紙は赤字でも休めない。

江田はスタッフに、「こんな仕事は人の生き血を吸って続けるもんだ」

とハッパをかけたが、2年あまりで借金がかさみ廃刊になった。政党史の裏面に、機関紙の歴史がある。各党各様だ。(敬称略)

杜父魚文庫
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