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死に損い心臓脚気 渡部亮次郎
中学3年の夏、野球部の合宿中、グラウンドで突然、意識を喪って昏倒。担ぎ込まれた病院で「心臓脚気です」と告げられた。

<しんぞうかっけ beriberi heart

ビタミン B1欠乏症(脚気)によって心臓の機能が障害された状態。ビタミン B1が欠乏すると,心筋のエネルギー代謝も障害されて,血液の拍出量が低下し,心不全に陥る。

この結果,各種の神経症状とともに,頻拍,血圧低下,浮腫,呼吸促迫などの症状がみられるようになる。重症になると心臓肥大を伴うようになり,わずかな運動でも急に胸苦しくなる。このような状態を〈脚気衝心〉といい,死亡することもある。

ビタミン B1を補給すると急速に回復する。日本では第2次大戦中から戦後にかけて発生したが,栄養状態の改善によってほとんどみられなくなった。>世界大百科事典

担任の先生が毎日、教員室でビタミンB1を注射してくださったので1週間ぐらいで回復した。先生は医師法違反だったろうが、とにかく私は死を免れた。

野球で勝つ為に合宿までしていたのだが、3学期には高校入試を控えていた。そこで野球の疲れを早く回復させるためにと、砂糖を大量になめた。

疲労はなるほど早期に回復したが、砂糖が分解する為にはビタミンB1を大量に消費すること、つまり甘味料の大量消費はビタミンB1欠乏症たる「脚気」を招くことを知らなかったのである。

日本では戦後、アリナミンが発明されたことにより、脚気は知る人のない病となったが、最近、息を吹き返している。

<1954(昭和29)年3月、アリチアミンの内服薬「アリナミン錠」が、翌年3月には注射薬の「アリナミン注」が発売された。ともに従来のビタミンB1剤に見られない優れた効果をしめした。その効果によってアリナミンは、治療薬・保健薬として医学界にも社会にもひろく歓迎され、また同業他社をおおいに刺激した。

1968(昭和43)年までに11種類のB1新誘導体が発売されたのである。アリナミンとその類似品の浸透により、手の打ちどころがなかった潜在性脚気が退治されることとなった。国民の脚気死亡者は、1950(昭和25)年3,968人、1955(昭和30)年1,126人、1960(昭和35)年350人、1965(昭和40年)92人と減少した。

しかし、1975(昭和50)年には脚気が再燃した。原因には砂糖の多い飲食品や副食の少ないインスタント食品といったビタミンの少ないジャンクフードがあることが分かった>(「ウィキペディア」)。

杜父魚文庫
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