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日本学習に来たトウ小平 渡部亮次郎
1978(昭和53)年10月22日、中国の国務院副総理トウ小平が来日した。勿論、初来日だった。私はこの時、外務大臣園田直(すなを)の秘書官として接遇した。

1978年8月12日に北京で締結した「領土・主権の相互尊重」「相互不可侵」「相互内政不干渉」「平等互恵」「平和共存」などが定められた日中平和友好条約批准書「日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約(Treaty of Peace and Friendship between Japan and the People'sRepublic of China)」交換に立ち会うのが口実で胸中で温めてきた経済の改革・開放に先立って経済の「先進国」たる日本の実情を「見学」に来たものである。

一行は1978年10月23日に、東京で日中平和友好条約の批准書交換式に出席し、福田赳夫(Fukuda Takeo/1905 - 1995)首相と会談し、昭和天皇はトウ氏に会見された。

これらを側で見ていた園田外務大臣によるとトウ氏は天皇陛下に会うまでは「そっくり返って」いたが、会談後は、すっかりおとなしくなり、天皇陛下と並ばず、後ろに従って歩くようになっていたという。

そのわけを聞きただすことはできなかったが、陛下の見識に感服しためらしかったと園田氏は言っていた。

これについて、当時の湯川式部官長は、「中国側は過去の事は言わないと言っていたが、将来の事を話す枕詞としてほんの少し出ただけで、大変和やかな会見であった」と述べている。

天皇は、「我が国はお国に対して、数々の不都合な事をして迷惑を掛け、心から遺憾に思います。ひとえに私の責任です。こうしたことは再びあってはならないが、過去の事は過去の事として、これからの親交を続けていきましょう」と謝罪の気持ちをこめて語りかけた。

トウ小平は、「お言葉のとおり、中日の親交に尽くしていきたいと思います」と応じた、という。

トウ氏は、新日鐵や日産自動社など、日本の代表的な企業の工場を視察した。この時、二ササン首脳から私に連絡が在り「弊社の一番高い乗用車をトウ氏に進呈したいが、受け取って下さるか否か意向を聞いてください」ということだった。

これを聞くなりトウ氏は間髪をいれず「戴きます」と答えたのには些かおどろいた。「中国ではホテルのボーイでもチップをうけとらない」ときかされていたからである。

それを証拠に1972年秋、田中角栄首相に記者として同行し日中共同声明の調印式を取材した時、日本外務省から、そういう注意を受けていたのである。

尤もあの時、或る新聞社の記者が試しとばかり、運転手に金張りのライターを差し出したところ、一瞬、周囲をみまわしたあと、奪うように受け取った。日本外務省は中国人の本質を昔から知らない。

トウ一行新幹線にも乗車して大阪を訪問。もちろんこんなに高速の電車に乗るのは初体験だったらしいが、記者団に感想を聞かれて「常時、鞭で首を叩かれているような気持ちだった」と答えた。

こうしてトウ氏は8日間の訪問日程を終えて、1978年10月29日に帰国した。

論をなす人は「この訪日の経験が、中国の改革開放の総設計師となったトウ小平が中国の「四つの現代化」を進める上で、日本を身近なモデルとし、日本との協力をすすめていくきっかけになった」と言う。

杜父魚文庫
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