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北朝鮮の韓国排除戦略強まるのか  古沢襄
北朝鮮に対して厳しい対峙の姿勢をとってきた韓国の李明博(イミョンバク)政権にとって、米朝合意は冬の到来をも覚悟せねばならぬのかもしれない。米朝二国間交渉にウエートを置く北朝鮮が韓国排除戦略に出る可能性が強まるからだ。

北朝鮮にとって望ましいのは、対北宥和政策をとった金大中・盧武鉉政権の再来であろう。

しかし、それが朝鮮半島の安定に資すか疑問がある。韓国の中央日報が「一九九四年の米朝”ジュネーブ核合意”を例にとって、その”悪夢”という前轍を踏まない」と論評を加えた。十一月の大統領選挙を控えた米オバマ政権は、不確かな合意のままビル・クリントン民主党政権の轍を踏む可能性がある。

北朝鮮の出方によっては、オバマ政権は米共和党から外交的な失敗と責められる危ない綱渡りをする危険性を内包している。

<北朝鮮のウラン濃縮プログラム(UEP)稼働中断発表(先月29日)を歓迎する国際社会の論評が相次いでいるが、米国は‘慎重’モードだ。「正しい方向へ向かう慎重な第一歩(a modest first step)」(クリントン米国務長官)、「韓半島非核化の前向きな第一歩だが、行動が伴うことが必須」(カーニー大統領報道官)などのコメントが続いた。

クリントン長官はこの日の下院歳出委員会で、「米国は依然として北朝鮮に対して深い憂慮を抱いている。北朝鮮の新しい指導者の行動を綿密に観察し、判断する」と明らかにした。北京協議で見せた金正恩(キム・ジョンウン)体制の選択を評価しながらも、約束を履行するかどうかを見守りながら6カ国協議再開など次の段階に動くということだ。

韓国政府の関係者は「北朝鮮の新しい指導部は1994年の金日成(キム・イルソン)死去直後のように核取引を通した対米対話路線を踏襲した」とし「しかし米国は当時締結した‘ジュネーブ核合意’の前轍を踏まないという意志が強い」と伝えた。

ジュネーブ核合意はクリントン長官の夫ビル・クリントン政権当時に締結された。北朝鮮のウラン核開発の動きで破棄されたこの合意は当時の政権関係者にとって‘悪夢’だ。米国務省の当局者もこの日の記者会見で「6カ国協議のテーブルに単に一緒に座るのではなく、はっきりと成果を出す戦略(winning strategy)が必要だ」とし「私たちは核心問題と関係がない問題で消耗的な論争をする過去の対話方式を容認しない」と強調した。

「北京合意」で米朝間の情勢が対話局面に入ったというが、合意履行のための具体的アクションプランを組むのも容易でない。韓国政府の当局者は1日、「米朝間では食糧支援の議論が先に行われるだろう」と述べた。しかしいつどんな方式で支援するか、配分の監視はどうするかについては合意しなかった。

ホワイトハウス国家安全保障会議補佐官を務めたビクター・チャ戦略問題研究所(CSIS)韓国室長は「米国は11月の大統領選挙を控え、北朝鮮の核問題が招く危険を避けられるようになり、北朝鮮は金日成主席100回目の誕生日の4月15日を控えて食糧を得ることになった」とし「戦術的に双方ともに一理ある」と評価した。しかし「北朝鮮との交渉はいつも良くない選択の中から選ぶことになる」とし「核活動の中断がいつからか、国際原子力機関(IAEA)視察団がいつ北朝鮮に入るかなどを決められず、追加交渉で難航する」と語った。

韓国政府当局者も「今回の合意核心事項のUEP稼働中断と食糧支援は‘同時行動’原則に基づいて履行されるが、履行順序(sequencing)をめぐる神経戦も少なくないだろう」と述べた。

米朝合意にもかかわらず、南北関係までも対話局面に転換することはないという分析が多い。外交安保研究院の尹徳敏(ユン・ドクミン)教授は「その間、米朝協議の重要な前提条件は南北関係の改善だったが、今後、南北関係改善を前提としない米朝協議が相当期間続く可能性がある」と予想した。北朝鮮の「通米封南」(韓国を排除して米国と対話する戦略)がさらに強まるということだ。

韓国政府当局者は「米国のデービース北朝鮮政策特別代表とは緊密に協議している。北朝鮮の核問題に関しては‘通米封南’という見解は正しくない」と述べた。

ただ、韓米両国は北朝鮮が人的・文化・スポーツ交流部門を発表文に含めると要求した点に注目する雰囲気だ。核交渉が行われる中、北朝鮮政府関係者の訪米、テコンドー模範競技団の交流、北朝鮮交響楽団の訪米など民間交流が活発に行われる可能性がある。(中央日報)>

■一九九四年ジュネーブ交渉

<<外交トップの姜錫柱と譲歩した米外交 古沢襄>>
2010.12.21 Tuesday name : kajikablog

北朝鮮の権力構造で姜錫柱(カンソクジュ)ほど生命が長い外交官はいない。姜錫柱が西側から注目されたのは、カーター・金日成会談(1994年)に際して、側近でただ一人出席していたことであった。金日成はカーターとのやりとりで、いちいち姜錫柱の意見を求め、助言を得ていた。

それを見ていたカーターは会談後、姜錫柱と会って細部にわたる詰めの交渉をしている。1994年6月16日のことである。6月15日に平壌に着いたカーターは、ただちに金永南(キムヨンナム)外相と最初の会談をもったが、金永南は頑なで非妥協的な態度を貫いた。カーターはその夜、絶望的な気分になったと回顧している。

金日成が外相の金永南よりも第一外務次官の姜錫柱を重用していると知ったのは翌日のことである。北朝鮮でナンバー・ツウと西側でみられていた金永南よりも外交案件では姜錫柱の方が金日成に強い影響力を持っていたということは、米国はじめ西側が初めて知るところとなった。

今になれば、独裁国家である北朝鮮では当たり前のことだと言えるが、当時としては西側の常識では測れないことだったといえる。

その姜錫柱も金日成死去によって失脚すると西側から観測されている。しかし金正日体制になっても姜錫柱は生き残っている。これは北朝鮮が儒教共産主義という特異な政治形態を持つ影響なのであろう。金正日体制でも姜錫柱の影響力は衰えるどころか、金正日側近として重きをなしている。姜錫柱に代わる外交トップはまだ生まれていない。

姜錫柱が米側との外交交渉で姿を現したのは1993年、クリントン政権下の対北朝鮮二国間交渉の場であった。平壌の国際関係大学を出た姜錫柱は欧州問題担当の外務次官ということ以外には何も知られていなかった。二国間交渉の米側代表はロバート・ガルーチ国務次官補。

ガルーチの眼にはこれまでの頑な北朝鮮外交官にない率直で話合いにも積極的な姜錫柱に驚く。姜錫柱は米交渉団員の前で愛読書は「風とともに去りぬ」と言った。それが嘘でない証拠に、本の一節をそらんじてみせている。

しかし交渉に入ると姜錫柱首席代表はタフなネゴシエーターであることを示して、ガルーチは妥協を強いられた。北朝鮮との交渉で、宇宙人みたいな独特の論理で振り回される恐れはなくなったが、西欧的な論理で議論を展開して米側の譲歩を粘り強く求めてきた。この術は欧州問題担当の外務次官として身につけたものであろう。

姜錫柱は北朝鮮の国内で生産される天然ウランと広く用いられている黒煙炉技術を用いて、平和的な原子炉計画を持っている、核兵器を生産するつもりはないと、繰り返し主張した。そしてエネルギー需要を満たすために、より近代的で核拡散の恐れが少ない小さい軽水炉に転換すると表明した。

姜錫柱の提案にガルーチも会議のテーブルに着いていた技術専門家も最初は乗り気ではなかった。交渉の場をワシントンからスイスのジュネーブに移した後も姜錫柱は軽水炉計画を主張し、一基あたり10億ドルはかかる巨額な費用を西側が支援することを求めている。ガルーチは「軽水炉の導入を支援し、入手方法については北朝鮮とともに研究する」と譲歩せざるを得なくなった。

この交渉は1994年7月8日に金日成が死去した後も続けられている。10月21日にジュネーブで米朝合意が成り、西側は軽水炉を手配し、その建設期間は暫定的な代替エネルギー(重油)を提供するという米側の譲歩を引き出した。北朝鮮は米朝合意を外交的な勝利と位置付け、ジュネーブから帰国した姜錫柱は凱旋将軍のごとく栄誉式典で迎えられた。

しかし米側の譲歩にもかかわらず北朝鮮は核開発計画を捨てていない。すでに核爆弾を数個製造したという情報もある。悪くいえば、姜錫柱に手玉をとられた米朝交渉だったといえる。(杜父魚ブログ)

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