「憲法9条」では平和は守れない   加鷄冖

米原子力空母『ロナルド・レーガン』が原子力空母『ジョージ・ワシントン』と交替して、横須賀に入港した。


テレビでその勇姿をみたが、排水量9万7千トンだけあって、さすがに
堂々としていた。


これから、しばらくのあいだ、横須賀を母港として、朝鮮半島や、日本の周辺に睨みをきかせることになる。


大江健三郎氏をはじめとする護憲派は、この巨艦が日本に戻ってきてくれたことを、きっと双手をあげて、歓迎しているにちがいない。


護憲派の人々も、まさか戦後今日にまで、「平和憲法」があったから、日本の平和がしっかりと守られてきたと、信じているわけはあるまい。


マッカーサー元帥が日本を無力化するために、「第9条」を押しつけたが、「平和憲法」を強要してから、その僅か4年後に朝鮮戦争が勃発した。


マッカーサーは大失敗をしたことを、おくびにも出さず、日本に再武装することを命じて、警察予備隊が発足した。


日本国民が今日まで泰平の世を謳歌してきたのは、「平和憲法」という呪(まじな)いによるものではなく、アメリカの保護によるものだ。


「第9条」は祈りでしかない。もし護憲派のなかで、「第九条」が今日まで平和をもたらしてきたと信じている人々がいれば、祈祷師なのだろう。


杉田玄白といえば、江戸時代後期の蘭方医学の先駆者で、『解体新書』と『蘭学事始』によって有名だが、著作『形影夜話』(1803)のなかで、医が兵法とまったく変わらないと、論じている。


玄白は「孫呉(孫子、呉子)の兵法を知らざれば、軍理は立たぬ。医も形体(かたち)詳(つまびらか)ならざれば、医理は立たざる事と知らる」と戒めている。医術も、その時々に変わる状況の形体(かたち)に合わせて、兵略を柔軟に立てるのと同じことだといって、医術と兵法の共通点をとりあげて詳述している。


国を人間にたとえれば、国外から蒙っている脅威は、疫病と同じものだ。


玄白の時代から今日にいたるまで、世界では残念なことに弱肉強食が、まかり通っている。マッカーサーが早とちりして与えた“即席憲法”によって、全人類が平和を愛するようになったはずはない。人が病いを恐れることも、まったく変わっていない。


国会の周辺に集まって安保関連法制に反対していた人々は、アメリカの力が相対的に弱まってしまったかたわら、日本を囲む安保保障環境が激変していることに対して、目を閉じている。


幕末の志士の吉田松陰は、『幽囚録』のなかで、「耳なくば何を以て聴かん。目なくば何を以て視む。能(よ)く足挙げ手を揺(うごか)すことなく、国が衰えるのは当然」と、説いている。


安保関連法制がよく分からないという人々は、まったく不勉強だ。目を見開き、耳を澄ませなければ、日本の安全を守ることができない。


民主党の岡田克也党首は、「集団的自衛権は必要ない」といい切っているが、アメリカという外国の手を借りて、国を守るということ自体が、広義の集団的自衛権の恩恵を蒙っている。
 

それでなければ、アメリカの対日占領が続いていることになってしまう。

 
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| 加瀬英明 | 11:20 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







日本の理想を実現した大東亜会議とAA会議   加鷄冖

4月に、インドネシアのジャカルタにおいて、アジア・アフリカ会議60周年記念首脳会議が催された。バンドン会議、あるいはAA会議とも呼ばれた。


安倍首相が日本が引き続きアジアにおける平和の構築と、アジア・アフリカの成長に貢献してゆくと、演説したが、堂々としていた。


会議には、アジア・アフリカから約100の国と、地域の首脳が参集した。


第1回バンドン会議は昭和30(1955)年に、29ヶ国の代表が参加して開催された。日本がサンフランシスコ講和条約が発効して、独立を回復してから、はじめて出席した国際会議となった。


この時、私の父・俊一(としかず)は政府次席代表として、会議に出席した。


私は高校3年生だった。父がインドネシアへ出発する前に、私に「今度の会議は重光葵(まもる)と、わたしが苦労した大東亜会議につぐ、有色民族の2回目の歴史的な会議となるものだ」と、感慨深げに語った。


50年前のAA会議に当たっても、10年前の50周年記念会議、今回の60周年会議の時にも、日本のマスコミが大東亜会議を引き合いにだすことが、まったく無かった。残念なことである。


大東亜会議は昭和18(1943)年に、東京にビルマ、フィリピン、インド、タイ、満州国、中国(南京政府)の首脳が、一堂に会して催された、人類はじめての有色民族のサミットだった。


当時、東條内閣の外相だった重光葵と、政務秘書官として側近だった父が、東京・麹町の重光私邸で大東亜会議の構想を幾晩も徹夜して練って、首相に提案したものだった。


日本は開戦の御詔勅にあるように、「自存自衛」のために戦っていた。しかし、戦争目的が自衛のためというと消極的であるから、大東亜会議は日本の役割を歴史に残すために、アジアの諸民族を解放することを、宣明することを諮ったものだった。


重光は敗戦後、A級戦犯として実刑判決を受け、日本が独立を回復した後に釈放されたが、鳩山内閣がAA会議の前年に成立して、外相に復帰した。


父は出発する前に、「重光に晴れ舞台を踏ませたかったのに、来れないのは何とも残念だ」といった。重光外相が首席代表となるところだったが、国会会期中だったために、首相と親しい実業家の高碕達之助経済審議庁長官が、起用された。


日本はインドネシアを敗戦の年の9月に独立させることを、決定していた。インドネシアは日本が連合国に降伏した直後の8月17日に、独立を宣言した。


第1回AA会議は、大戦が終結してからまだ10年しかたっていなかったために、反植民地感情が奔騰するなかで開催された。父もその熱気に、あらためて驚かされた。


会議が始まると、新興アジア・アフリカ諸国の代表たちが日本代表団の席にくると、日本が帝国主義勢力をアジアから駆逐して、民族解放をもたらしたことに対して、つぎつぎと感謝の言葉を述べた。


昭和31(1956)年3月8日に、重光葵外相が参院予算委員会で、「太平洋戦争によって、日本は東南アジア諸国の独立に貢献した」と述べた。


いま、岸田外相が同じ発言を行うことが、できるだろうか。


だが、日本が先の大戦を戦ったことによって、人種平等の世界が招き寄せられたのだった。


昭和天皇は敗戦の翌年に、側近者に対して先の戦争をもたらした原因について、つぎのように述べられている。


「この原因を尋ねれば、遠く第1次世界大戦後の平和条約の内容に伏在してゐる。(大正8年のパリ講和会議において)日本の主張した人種平等案は列国の容認する処(ところ)とならず、黄白の差別感は依然残存し加(カリフォルニア)州移民拒否の如きは、日本国民を憤慨させるに充分なものであった。


かゝる国民的憤慨を背景として、一度、軍が立ち上つた時に、之を抑へることは容易な業(もの)ではない。(『昭和天皇独白録』)


平成12(2000)年に、拓殖大学が創立100周年を祝った。拓殖大学は明治33(1900)年に、海外で開拓に当たる人材を育成するために、創立された。


今上天皇が記念式典に、行幸された。その時のお言葉のなかで、「校歌には青年の海外雄飛の志とともに、『人種の色と地の境 我が立つ前に差別なし』と、うたわれています。当時、多くの学生が、この思いを胸に未知の世界へと、大学を後にしたことと、思われます」と、述べられた。


父・天皇の想いを、語られたにちがいない。大東亜会議とAA会議は、日本の理想を実現したものだった。


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| 加瀬英明 | 17:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







煙草を掌で消した政治家    加鷄冖

昭和32(1957)年のある日、私は園田直(すなお)代議士と一緒に、ニューヨークのウォルドーフ・アストリア・ホテルのエレベーターに乗っていた。引退したマッカーサー元帥に会いに行くためである。


後に福田赳夫内閣、大平内閣、鈴木内閣で外務大臣を務める園田氏は、当時、外務政務次官だったが、私と個人的に親しかった。首相特使として岸信介首相の訪米準備をするためにニューヨークへ来ていたが、マッカーサーに会いたいというので、私が仲介の労をとった。私は留学生だった。


ウォドルドーフ・アストリア・ホテルは、28階以上がアパートになっている。住人にはマッカーサーのほかにも、コール・ポーターやウィンザー公(元イギリス国王)夫妻など錚々たるところがいた。
 

執事に案内されて、広い応接間に通されると、まず、その豪奢なことに驚いた。部屋の中は、椅子と絨毯を除けば、すべて日本の古美術品だった。国宝級の金屏風が3,4双並び、金銀の飾物、陶器、美術品がところ狭しと置かれている。


公職追放処分を免れようとした日本の有力者から贈られたものに違いなかった。


やがて、マッカーサー元帥が入ってきた。ダーク・グレイのシングルの背広を着ていた。お濠端の連合国軍総司令部の玄関を颯爽と出てくる姿に慣れている目には、77歳の元帥は年老いて、一回り小さくなったように見えた。


元帥は座ると、シガレット・ボックスをとって、私たちにタバコをすすめた。


・・・元帥は私たちの質問に答えて、話題は憲法9条から極東の軍事情勢にまで及んだ。一旦話し出すと止まらなかったので、質問を続ける必要はなかった。


・・・「その時、幣原(しではら首相)がやってきて、目に涙を浮かべて、日本は平和国家として永久に軍備を放棄すべきだと言った。私は今日でも、第9条は世界に誇るべき規定だと思っている。日本は東洋のスイスでなければならない」。


私はテーブルの上で灰皿を探したが、目の前に置かれた銀の盃(さかづき)の中に、先ほど元帥が擦ったマッチの燃えかすがあったので、そこに灰を落とした。


盃の底に16弁の菊の御紋章があったので、私は咄嗟に、それが天盃(てんぱい=天皇から賜る盃)である事がわかった。しかし、テーブルには、シガレット・ボックスともう1つの天盃が置かれているだけで、ほかには何もなかった。私はやむなくこの「灰皿」を使い続けた。


「私が世界でもっとも尊敬する人物は、天皇陛下だ。私が東京に進駐するとヒズ・マジェスティ(陛下)が会いにこられた。そこで陛下は『大戦の責任は、みな自分1人にある。臣下は自分の命を奉じたに過ぎない』


と厳然として言われ『連合国が責任を問おうとするなら、まず、自分を処刑して欲しい』と述べられた。私はこのとき、真の君主の姿を見たと思った。あの瞬間から、天皇を深く敬愛するようになった」。


当時、アメリカやイギリス、オーストラリアの新聞は、天皇を国際裁判にかけて死刑に処するべきだと主張していた。


私は突然、人間の脂肪の焼ける臭いをかいだ。ふと見ると、横にいる園田氏が掌(てのひら)でタバコを消している。


その表情には何の変化もなかった。瞬きすらしないのだ。特攻隊長として終戦を迎えた園田氏は剣道、居合道、合気道など二十数段の猛者である。数秒が過ぎた後は、何事もなかったようだった。


マッカーサー元帥は、まったく同じ調子で、遠くを見つめるような目をして話し続けていた。


そのうちに元帥は、ソ連の脅威が募っていると警告した。日本が軍備を拡張し、自由アジアの一大軍事勢力として、極東の平和に寄与しなければならないと熱心に説いた。


・・・元帥がドアまで送ってくれた。客が(天盃を灰皿として使うにしのびず)掌でタバコを消したことには気付いていないようであった。それとも案外、知っていたのかもしれない。


帰りのエレベーターの中で、園田氏が私に言った。「君は、よくあの天盃が使えたなぁ」。園田氏の掌には大きな水ぶくれがあった。私は世代の差をそこに感じた・・・。

 
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| 加瀬英明 | 16:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







“70周年”に露・中・米がこだわる理由    加鷄冖

安倍政権は戦後70周年に当たる談話を出すのをめぐって、苦慮している。新しい首相談話を発表する8月は、日本にとって重い夏となる。


ワシントンから再三にわたって、村山談話、河野官房長官談話を「継承」し、先の大戦に対する反省を繰り返すように求められている。


安倍首相が5月の連休に訪米して、アメリカ議会で演説することになるが、先の大戦にどのように言及するのか、頭が痛いことだ。


だが、大戦終結後70周年を記念しようという騒ぎが、このように大きく盛りあがっているのは、おかしいではないか?


普通なら、50周年、100周年を記念するもので、70周年が大きな節目となることはない。60周年にこのように大きな話題に、ならなかった。


ロシアと中国には、70周年を盛大に祝いたい計算がある。


ロシアはソ連が崩壊して、共産主義も破綻してしまったので、前大戦でヒトラーのナチス・ドイツを打倒したことしか、正義を主張できない。


中国も同じ弱味を、かかえている。東南アジア諸国などの周辺の国々を恫喝して、評判が悪い。いまの中国は、中華民国ではないから、先の大戦の戦勝国ではないが、軍国日本を屈服させたことしか、正義を騙(かた)ることができない。


しかし、アメリカはどうなっているのか?


アメリカは17世紀初めに、イギリス本国から迫害を受けていた清教徒が、北アメリカ大陸に“地上のユートピア”である「神の国」を築こうと決意して、大西洋を渡って、建国した国である。


そのために、今日でもアメリカは、キリスト教の信仰が篤い国となっている。ヨーロッパでは神父や、牧師のなり手がいないので、アフリカの黒人やインド人の聖職者が増えている。アメリカはヨーロッパ諸国において宗教離れが進んでいるのと、対照的だ。


アメリカはいまでも「世界で自分たちのアメリカがもっとも正しい」と信じている、“地上のユートピア”主義を国是としている。


なぜ、ソ連が東西冷戦が終わるまで、地球上の半分近くを支配したのか。なぜ、アメリカが「アメリカの理想」を振り翳して、全世界をアメリカ化しようとしているのか。


この答えを求めるためには、西洋史を遡らなければならない。


ヨーロッパでは中世を通じて、ローマ法王のキリスト教原理主義によって、一切の知的な自由が圧し潰されていた。


そこに、ルネサンスと啓蒙の時代が、到来した。


啓蒙の時代は人間の知性を、神よりも上に据えた。その結果、それまでは天国が死後の世界に属していたが、天国を地上に引きずりおろして、“地上のユートピア”主義が出現した。


18世紀のフランス革命が、その鬼子であり、マルキシズムが“地上のユートピア”思想の代表的なものだった。


ソ連が消滅して、中国もマルキシズムを捨てて、“偉大な中華文明の復活”を旗印とするようになった。


だが、アメリカがまだ“地上のユートピア”主義国家として、残っている。アメリカも先の大戦で、アメリカが正義であったことを、証したいのだ。


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| 加瀬英明 | 14:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







日本人を蝕む西洋化という病    加鷄冖

新年が巡ってくるたびに、毎年、日本らしさが、失われてゆく。嘆かわしい。


家の近くを通ると、クリスマスツリーや、樅(もみ)の枝輪や、ポインセチアが飾られて、まるでアメリカの街にいるような錯覚にとらわれる。クリスマスが近づくと、テレビがサンタクロースや、クリスマスの曲(キャロル)で満たされる。

もしイエスが生きていたとしたら、百貨店のクリスマスの飾りを、壊すにちがいない。イエスは生涯にわたって、清貧を説いた。


新約聖書はイエスが神殿の前の屋台を襲って、つぎつぎと倒したことを記している。日本国民はサンタクロース教によって、誑(たぶら)かされている。日本が西洋化という病(やまい)によって蝕まれて、内から崩壊しつつある。


昨年も、天皇誕生日に3万人以上の善男善女が日の丸の小旗を振って、聖寿を寿(ことほ)いだ。


11月に大相撲の九州場所の千秋楽で、白鵬関が鶴竜関に勝って、32回目の優勝を果した。私は白鵬関が賜杯を手にした後に、土俵の下でNHKの優勝インタビューにこたえた言葉に、深く感動した。


白鵬関はそのなかで、「相撲の神様に感謝します」といい、声を張りあげて、「天皇陛下に感謝します!」と述べた。私は「相撲の神様」「天皇陛下に感謝します」という言葉を、久し振りに聞いた。


私たち日本人は、太古の昔から八百万(やおろず)の神々に囲まれて、生きてきた。


今日では、相撲は日本語に入った英語を借りて、「スポーツ」と呼ばれているが、本来は神を祭る神事(かみごと)である。私はテレビで大相撲を観る時には、敬虔(けいけん)な思いにとらわれる。


土俵はリングではない。神聖な場だ。力士は土俵を踏む前に、力水(ちからみず)と呼ばれる清(きよ)めの水で口をすすぐ。神社にお参りする前に、口をすすぐのと同じことだ。


土俵を造る時には、神主を招いて厳粛な神事が行われる。真ん中に10センチ4方ほどの穴が掘られて、米、勝ち栗、昆布などを埋めて供え、お祓(はら)いをしたうえで、四隅にお神酒(みき)と塩が撒かれる。


力士が足を高くあげて、土俵を踏みつける四股(しこ)は、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願って大地から地中の悪霊を払う意味がある。


このような形を、過ぎ去った昔のものとして、捨ててはならない。日本の宝である。


私は白鵬関が「相撲の神様に感謝します」と述べたのに、胸が熱くなった。白鵬関は「ちょっと、モンゴル語で話をさせて下さい」といって、モンゴルで観ている両親と国民に向かって、「親と母国の人々に、深く感謝します」と述べた。


日本のあらゆる信仰は、神道をはじめとして、感謝に基いている。感謝の念が、日本人を日本人たらしめてきた。日本を特徴づけてきた「和」の精神は、感謝の心がつくってきた。日本は感謝しあう、美しい国なのだ。


日本語には明治に入るまで、「神話」という言葉が存在しなかった。「ふること」といった。漢字で「古事」と書く。「神話」は英語の「ミソロジー」の明治翻訳語である。


皇居では、天皇陛下が日本の祭主として、秋の新嘗祭(にいなめさい)には、日本民族がまだ文字を持たなかったころから伝わる、古い感謝の神事を行なっておいでになる。ふることは、現代まで継(つなが)っている。有難いことだ。


5千円札に、いまから120年前に赤貧のなかで、25歳で病死した、樋口一葉の肖像があしらわれている。本名をなつといった。


なつは、克明な日記を遺している。しばしば、日本のありかたに触れている。


病没した前年に「安(やす)きになれておごりくる人心(ひとごころ)の、あはれ外(と)つ国(くに)(註・西洋)の花やかなるをしたい、我が国(くに)振(ぶり)のふるきを厭(いと)ひて、うかれうかるゝ仇(あだ)ごころは、流れゆく水の塵芥(ちりあくた)をのせて走るが如(ごと)く、とどまる處(ところ)をしらず。流れゆく我が国の末いかなるべきぞ」と記している。


日本人らしさを、失ってはなるまい。

 
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| 加瀬英明 | 00:41 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |







外交は毅然たる態度と“自尊”で    加鷄冖

安倍内閣が登場してから、2年たたないうちに、日本は久しぶりに全世界が認めるリーダーを、持つようになった。私はワシントンに通っているが、オバマ政権を含めて、アメリカの対日観が大きく変わった。この1年で、安倍首相の存在感が大きなものとなったことを、アメリカも認めざるをえないようになっている。


アメリカは安倍内閣が平成24(2012)年に成立してから、1年あまりは安倍首相を「ナショナリスト」「反動(リアクショナリー)」「撥ねあがり」として嫌って、抑えつけようとしてきた。安倍首相が平成25年末に靖国神社を参拝すると、国務省の指示により、駐日アメリカ大使館報道官が「アメリカ政府が失望した」という、非常識なコメントを発表した。


オバマ大統領の国内外のリーダーシップが揺らぐなかで、安倍首相が積極的に「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」を進めて、2年間に50ヶ国を訪問して、行く先ごとに高く評価されると、アメリカも安倍首相がドイツのメルケル首相、イギリスのキャメロン首相、フランスのオランド大統領と並ぶ、“世界のリーダー”の1人として、認めるようになった。

アジアにおいて、中国が力を大きく増して、習近平国家主席が「5千年の中華文明の偉大な復興」「中国の夢 強軍の夢」を繰り返し唱え、露骨に往年の中華帝国を再現して、中華秩序を復活しようとするなかで、どのアジア諸国も脅えていた。


安倍首相は「積極的平和主義」と「法の支配」を掲げて、日本がアジア諸国の先頭に立つ決意を示すことによって、アジア諸国をまとめてきた。


アジア諸国との安保協力は、防衛情報の交換から、巡視船、防衛技術の提供、共同訓練までわたっている。画期的なことだ。


なかでも、アジアの2つの主要国であるインドとオーストラリアとの絆を強め、アジア諸国と安保協力を進めることによって、日本に対する期待感を高めたことは、高く評価される。日本は第2次大戦が終わってから、はじめてアジアを束ねる、リーダーとなった。


いまや安倍首相は“日本の顔”だけでなく、“アジアの顔”となっている。
安保外交によって、日米関係とアジアの様相が、何と大きく変わるようになったことか。

安倍首相はアジアをはじめ50ヶ国を訪問し、行く先々で歓迎され、高い評価をえた。ところが、この事実は日本国民にとって、きわめて重要な意味をもっているのにもかかわらず、日本のマスコミが報道することが、まったくなかった。


アジアが直面する最大の課題は、中国が中華帝国の野望を露わにして、長い爪をアジア各地に伸ばしていることだ。中国は中華意識を振りかざして、平成25年末には尖閣諸島の上空に、傍若無人に防空識別圏(AZIZ)をかぶせるかたわら、ベトナム、フィリピンなどの諸国に属する島嶼や、海洋権益を奪ったために、南シナ海の緊張がたかまった。


中国は平成25年まで攻勢に立っていたのにもかかわらず、アジア諸国が中国に対して結束し、アメリカが中国に対して警戒心を強めるようになったために、守勢に転じるようになった。


昨年11月に、北京でAPEC(アジア太平洋経済協力会議)が、中国によって国家イベントとして盛大に催された機会に、日中サミットが実現した。それまで中国は、日本が靖国神社への首相参拝を行わないことを約束し、尖閣諸島をめぐって領土権紛争が存在することを認めないかぎり、首脳会談に応じないという、頑な態度をとってきたのにもかかわらず、中国が孤立化することを恐れて、安倍首相と25分間という短い時間であったが、会談に応じざるをえなかった。


これは、安倍首相が中国に対して媚びることなく、毅然たる態度をとってきたことによる、勝利だった。外交に当たって、自尊がいかに大切であるか、示している。これを境にして、韓国の朴槿恵大統領は安倍首相に対して、微笑むようになった。


習主席はこの時、オバマ大統領と10時間にわたって会談し、中米関係を「新型大国関係」とすることを提案したが、オバマ大統領は一顧もしなかった。


もっともアメリカも、日本も、かつて冷戦時代はソ連を明白な敵として位置づけることができたが、中国と経済的に深い相互依存関係を結んでいるために、中国を敵とすることができない。


ソ連とのあいだに、このような関係は存在しなかった。


そこで、中国と良好な関係を結ぶように努めつつ、アジア諸国と海洋同盟関係を強化することによって、中国の膨張政策を阻止することを、はからなければならない。


安倍首相は第1次内閣の時から、中国に対して「戦略的互恵関係」を結ぶように呼び掛け、11月の日中首脳会談においても強調した。日中関係については、この1語に集約されよう。


アメリカはアフガニスタンとイラク戦争による深い傷を癒すために、内に籠る周期に入っており、2017年に新政権が発足しても、当分は内向きとなろう。


安倍政権としては、集団的自衛権の行使を柔軟に解釈して、日米同盟の深化をはかりつつ、アジア諸国との海洋同盟関係をいっそう強めることに努めるべきである。


中国の太平洋への進出を阻む海洋同盟の鎖に、致命的に脆い点がある。台湾だ。アメリカは良好な米中関係を維持するために、このところワシントンで台湾へ関心が向けられることが、ほとんどない。


日台は地理により、戦略的に一体である。万一、台湾が中国に呑み込まれることがあったら、日本の安全を保てない。日台は一蓮托生であるから、日本として台湾を陰に、日向に支援するべきである。
 

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| 加瀬英明 | 09:52 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







「侍日本」から「幼児日本」へ     加瀬英明
本稿を総選挙の結果がでる前に、書いているが、日本国民が幼児化してしまったことを、慨嘆しなければならない。

アメリカでオバマ大統領が指導力(リーダーシップ)を失って、内に籠るようになったために、世界が騒然となっているというのに、自民党の最大の選挙公約といえば、「景気回復、この道しかない」というものだ。

民主党のマニフェストをみると、「GDPが二期連続マイナスに! アベノミクスは期待はずれ」「社会保障充実の予算が半分に減らされた!」「実質賃金が15ヶ月連続マイナス。働く人はますます苦しく」といった大きな見出しが、躍っている。

公明党は「いまこそ、軽減税率実現へ」、生活の党は「生活者本位の実現へ」、他の党も、国民により快適な生活を約束しており、似たようなものだ。

だが、今の日本にとって何よりも重要な問題は、アメリカが意志力を萎えさせ、中国の脅威が募るなかで、日本の独立を守るために、何をなすべきかという、1点にあろう。

もちろん、安倍政権も「憲法改正」と「国防」を、公約として打ち出すわけにはゆかない。そうしたら、国民が背を向けて自滅する。

これまで歴代の政府も、政党も、国民に国のために辛いことに耐えて、犠牲を払うことを求めたことが、一度もなかった。国民は国家を顧(かえりみ)ることがまったくなく、経済的な損得しか考えない。


アメリカは享楽的な国として知られるが、ジョン・ケネディ大統領が就任演説で、「国が何ができるかということではなく、国のために何ができるか考えよう」と訴えたのは、有名である。

歴代のアメリカ大統領は就任するに当たって、国民に国家に対する責任を果たすことを、つねに求めてきた。

この20年をとっても、クリントン大統領が就任式において、国民に「奉仕の時代(シーズン・オブ・サービス)が来た」と呼びかけ、ブッシュ(子)大統領は、国民に「責任の時代(リスポンシビリティ・エラ)に応える」ことを求めた。オバマ大統領も、国民に「耐え」「責任を分かちあい」「勤勉、忠誠心、愛国心」を訴えた。

日本では総選挙のたびに、政党が「生活第一」とか、「生活重視」といったスローガンを、掲げる。与野党とも「何よりも生活」を優先するということでは、変わらない。

だが、日本が幕末から明治にかけて、国家として存立を問われた時に、為政者が何よりも「生活を重視する」ことを、訴えただろうか。

今日の日本の政治家には、国民に困難を分かち合い、犠牲を払うことを求める気概がない。


かつて日本占領にあたって、マッカーサー元帥が「日本人の精神年齢は12歳だ」と、嘲(あざけ)ったことがあった。だが、12歳だったら、国の独立を守ることが大事であることを、理解しよう。

ところが、今日の日本人の大多数が、国の役割といえば、オヤツか、ケーキを配ることだと信じているから、いつのまにか、3歳か、4歳の幼児になってしまっている。

多くの国民が「日本国憲法」を、“平和憲法”として崇めているが、日本を非武装化して、二度とアメリカの脅威とならないようにしたものだから、“アメリカのための平和憲法”である。

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| 加瀬英明 | 00:27 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |







日本の政治風土を考える 総理と大統領の違い    加瀬英明
10月に、ワシントンに戻った。国務省の元日本担当者で、国防大学の教授をつとめている友人と、昼食をとった。すると、「安倍首相は日本にとって、久し振りに世界に通用するリーダーだ。ところが、安倍内閣は順調だったのに、どうして2年しかたたないのに、大幅な内閣改造を行ったのか」と、たずねられた。

私は「『指導者(リーダー)』という言葉は、日本語に明治に入るまで、存在していなかった。日本は決定が合議(コンセンサス)によって行われたから、リーダーという西洋語が入ってきた時に、新しい翻訳語が必要となったために、造ったものだ」と、説明した。もちろん、日本には、今日でもリーダーはいない。

■アメリカの大統領

アメリカの大統領をとれば、本来の言葉どおりの指導者(リーダー)であって、かつて絶対権力を握っていた王に近い。

閣僚も、各省庁の幹部も、上から下まで「プレジデンシャル・アポインティ」(大統領任命官)と呼ばれて、大統領によって任命されて、その地位にいるから、全員が大統領の代理人である。1人ひとりが、“大統領の人格の延長”であるとされている。

■指導者も独裁者も輸入語

ところが、日本は歴史を通じて合議制をとってきたから、「指導者」という言葉も、「独裁者」という言葉も、明治に入ってからしばらくたつまで、存在していなかった。2つとも、いわゆる明治翻訳語である。日本の閣僚は、首相の代理人ではない。そこで、西洋人には理解しがたいことだが、首相が与党の支持をとりつけるために、内閣を頻繁に改造して、閣僚を入れ替えなければならない。

『雙解英和大辞典』をひいてみる。(神田の古本屋で求めて、いまから130年あまり前になる明治25(1892)年に発刊された、『雙解英和大辞典』(東京共益商社)を私蔵している、分厚い辞書で、1288ページにわたる。先人たちがいかに英語と苦闘したか、偲ばれる)

この辞典でリーダーleaderをひいてみると、「案内者、嚮導(きょうどう)者、先導者、指揮者、首領、率先者、巨魁(きょかい)、総理、首唱者」と説明されている。まだ、「指導者」という言葉がなかった。

今日では、「独裁者」という言葉も、日本語のなかにすっかり定着しているが、ディクテーターdictatorをひくと、「命ズル人、独裁官、主宰官(危急ノ時ニ当リテ一時全権ヲ委ネラレタル)」としか、説明されていない。

■比較宗教と神話の研究

私は比較宗教と神話の研究者であるが、世界の文化のありかたを、それぞれの宗教と神話によって、説明することができる。日本の神話の最高神は、女神の天照大御神が最高神でいらっしゃる。

至上神が、女性であるのは、他の主要な神話にみられない。

中国の最高神である天帝は、男だ。朝鮮の檀君(タンクン)神話の至上神は上帝恒因(ソンジェファンイン)であるが、やはり男性神である。

ギリシアの最高神; ギリシア神話では、男性神のゼウスが最高神である。ローマ神話のユピテルも男であって、ゼウスと同じように雷を武器として、高天から世界を支配する。北欧神話の最高神で、男神のオーディンは風の神であり、「吹く」という意味だ。どの宗教も、神話も、それぞれの地域の人々が造った、いってみれば民芸品なのだ。

インドの最高神;インドのヒンズー神話の最高神も、男性だ。古代エジプトの最高神のラーも、男性神であって、太陽神である。バビロニア神話と、ペルシア神話の主神であるマルドゥクと、アフラ・マズダーも、男性神である。

これらの最高神は、絶対権力をもっているリーダーである。

神話を古代人による造り話だといって、斥けてはなるまい。神話はそれぞれの文化を、模している。日本神話を読むと、今日でも日本人のありかたが、あの時代からほとんど変わっていないことを、教えてくれる。

天の岩屋戸の物語は、天照大御神が、天の岩屋に籠(こも)られると、全宇宙が暗闇に閉ざされてしまった。八百万(やおよろず)の神々が、天(あめ)の安(やす)の河原に慌てて集まって、どうしたらよいものか、相談――神謀(かむばか)る。さまざまな知恵が、講じられる。

■天の岩屋戸の物語は、きわめて日本らしい

八百万(やおろず)の神々が、「神集(かむつど)ひ集(つど)ひまして神謀(かむばか)る」が、リーダーが不在なのだ。他国の神話には、このような場面はみられない。他の国々の文化であれば、全員をまとめて決定する主神がかならずいる。

■聖徳太子が『十七条憲法』

そのはるか後の604(推古12)年に、聖徳太子が『十七条憲法』を制定した。

第10条目では、「自分だけが頭がよいと思ってはならない」と、諭している。第17条では、「重要なことを、ひとりで決めてはならない。大切なことは、全員でよく相談しなさい」と、定めている。

このような衆議による伝統は、神代からあったものだ。

「神話」という言葉も、明治に入るまでは、日本語のなかに存在しなかった。「神話」も英語のミソロジーmythologyを訳するために造られた、翻訳語である。

先の英和辞典でmythologyをひくと、まだ「神話」という訳語がない。「神祇譚、神代誌神怪伝(異教ノ)」としか、説明されていない。

■「ふること」の意味

徳川時代が終わるまでは、神話を「ふること」といった。古事(ふること)、古言(ふること)という漢字が、あてられた。『古事記』は「ふることぶみ」と、読む。

このごろでは、日本民族の成り立ちである神話を否定して、原発の「安全神話」が崩壊したといったように、現実から遊離した造りごとか、虚構といった意味で使われている。

だが、明治訳語はいまだに新入りであって、私たちから遠いところにあるはずだ。「神話」は、「ふること」と呼びたい。

■女親のふところ包む親心

男親が子どもたちに優劣を競わせて、規律を課すのに対して、女親はできる子も、できない子も均しく守って、暖かく包む。女性を最高神とする日本は、優しい文化であってきた。

■国の呼び名「母国」の暖かさ

日本では祖国を指して、「母国」としか呼ばない。英語、ドイツ語ではファーザーランド、ファーターラントという。フランス語にはラ・パトリ――父国という、表現しかない。

大化改新が行われた皇極4(645)年に、皇極天皇が詔(みことのり)を発して、「独(ひと)リ治ムルベカラズ。民ノ扶(たす)ケヲ俟(ま)ツ」と、述べている。衆議を定めている17条憲法と、同じものだ。

このようなことは、あの時代に専制政治体制がとられていた、中国、朝鮮、ヨーロッパなどの諸国では、考えることができない。

何ごとも合議によるから、謙虚である。日本の歴代の天皇は、国土が天災によって襲われると、自分の過ちであり、徳が備わっていなかったからだといって、反省する詔をしばしば発してきた。

■天皇は民と共に

平城天皇(在位774年から824年)は、大規模な水害に見舞われた後に、「朕の真心が天に通じず」天災を招いたが、「この災いについて考えると、責任は朕一人にある」と詔のなかで、自らの不徳を責めている。

このような詔は、平城天皇だけに限らず、聖武天皇、清和天皇などの多くの天皇によって発せられている。他のリーダー諸国では、ありえないことだ。

江戸時代が終わるまで、上に立つ者は、頭(おかしら)、頭目、頭立(かしらだつ)、重立(おもだて)、主立(おもだて)などと呼ばれたが、合議によって、人々を統率した。

「自然」という言葉も、ネイチュアの明治訳語である。それまで、日本には人とネイチュアを区別するような、発想がなかった。

いまでは、「神話」という言葉が「古事(ふること)」を置き換えている。西洋に傾(かぶ)くようになって、日本人らしさが失われるようになっている。

杜父魚文庫
| 加瀬英明 | 15:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







「5千円札に学ぶ」    加瀬英明
今年は、日清戦争開戦から、120年目に当たった。5千円札を使う時に、手に取って、よく見てほしい。樋口一葉の肖像が、あしらわれている。一葉はペンネームで、本名をなつといった。

なつの肖像は、生涯でたった1回だけ、写真館で撮った写真が、もとになっている。なつは生涯で1度も、洋装をしたことがなかった。

しかし、札の肖像は顔から陰翳を取り除いて、平面的にしてしまったために、もとの写真の理知的で、蠱惑(こわく)的な美貌が伝わらない。もし、私がなつに会ったとしたら、恋したにちがいないと思う。

なつは日本が日清戦争に勝った、翌年の明治28(1895)年に肺病を患って、25歳で赤貧のなかで死んだ。なつの葬儀には、家族と友人が12、3人集まっただけだった。

なつは明治5(1872)年に、東京府の下級官吏を父として、府庁舎の長屋で生まれた。

父は、甲斐国(かいのくに)(現在の山梨県)の農家の子だった。当時は、長男しか相続できなかったので、明治元年の11年前の安政4年に、江戸に出た。

なつは11歳で、小学高等科を首席で卒業した。当時の小学校は4年制だった。これがなつの最終学歴である。幼い時から、父に古典を教えられて、古典に親しんだ。

いったい、今日の日本で幼い子に、古典を教える親がいるだろうか。

なつが17歳になった時に、役所を辞めていた父が事業に失敗して、多額の借金を残して、病死した。なつは母と妹をかかえて、針仕事や、洗い張りなどの内職によって3人の生活を支え、不遇な生涯を送った。そのかたわら、死後、高く評価されるようになった作品を、つぎつぎと世に送った。

今日の日本で10代の娘が、家族を養うために、身を削って働くものだろうか。あのころは、男であれ、女であれ、日本人の覚悟が違った。

幕末に開国してから、“文明開化”と呼ばれた西洋化の高波が、日本を容赦なく洗っていた。しかし、まだ多分に古い時代の生きかたが、人の心を律していた。

あの時代には、家族のために身を犠牲にするのは、当り前のことだった。人は家族であれ、隣人であれ、助け合った。日本は貧しかったが、人情が豊かで、精神性がきわめて高い社会を形成していた。

なつが21歳の時に、小説がはじめて文芸誌に売れた。多作だったが、原稿料は安かった。

なつの作品は明治時代の前半の人々が、どのように生きたのか、庶民の生活を生き生きとした筆致で描いている。なつは日記を遺している。日記にはつらい境遇を生きる苦しさを、嘆くような書き込みが、いっさいない。

なつは日記のなかで、しばしば日本が直面した、内外の情況に触れている。そして、日本の将来を思いやった。

病没する前の年に、つぎのように日記に記している。

「安(やす)きになれておごりくる人(ひと)心(ごころ)の、あはれ外(と)つ国(くに)(註・西洋)の花やかなるをしたい、我が国(くに)振(ぶり)のふるきを厭(いと)ひて、うかれうかるゝ仇(あだ)ごころは、流れゆく水の塵(ちり)芥(あくた)をのせて走るが如(ごと)く、とどまる處(ところ)をしらず。流れゆく我が国の末いかなるべきぞ」

日本が明治に入って、西洋諸国に対して開国してから、まだ30年もたっていなかった。西洋化によって、日本人の生きかたが、蝕まれるようになっていた。

ぜひ、なつの切々とした、この訴えを声をだして、読んでいただきたい。なつが、このように憂いてから、122年がたった。なつが予感した通りの国となっている。

今日の日本は、物質的な豊かさが満ちあふれているために、かえって人々の心が貧しくなった。人々が貪欲になって、満たされることがなくなっている。

そのために、共同体であるべき社会が、急速に壊れつつある。人々が欲得によって、休みなく駆り立てられて、自分しか顧みないために、苛立ちやすい。

このところ、日本では高速道路がひろがるごとに、人の心が狭くなった。スーパーや、レストランが立派になるのにつれて、家庭の食卓が貧しくなった。

機能的なマンションが建てられて、生活がいっそう快適になってゆくのにつれて、家族の解体が進み、隣人への親近感や、地域に対する一体感が、失われるようになった。

若者まで心が疲れて、若々しさを失って、安易な癒しや、刹那的な刺激を求めている。

欲しいものが、何でも手に入るようになったというのに、この国から希望だけがなくなってしまった。

人々はついこのあいだまで、人生が苦の連続であると、みなした。

そこで、少しでも楽しいことがあれば、喜んだ。人生は苦労して、乗り越えるものだった。

ところが、今日では多くの者が、人生が楽の連続でなければならないと、思っている。そこで、つねに不満を唱えて、すぐに挫折してしまう。

人生が楽の連続であるというのは、真実からほど遠い。だから、精神がひ弱くなって、傷つきやすい。幸せになろうとすれば、努力しなければならない。ところが、いまの人々は幸せになる権利があると、思い込んでいる。

私は幸福を追い求める罪があると、思う。人は幸せになろうと、望んではならない。かえって、不幸になる。

それよりも、いまあることに、感謝しよう。試練にも、感謝しよう。幸せは与えられた環境に感謝しながら、自分をひたすら鍛えて、努力した結果として、訪れるものだ。

なつは多感だった。西洋化が進んで、日本人らしさが失われてゆくなかで、「安きになれて」「おごる」ようになり、「花やか」なことを求めるのを嘆いて、「流れゆく我が国の末いかなるべきぞ」と、憂いた。

今年は、日露戦争開戦の110年目にも、当たる。日本国民が日清、日露戦争に当たって、一致団結して、奮い立たなかったら、今日の日本はなかった。

いま、中国の脅威が募っている。日本を取り巻く国際状況が、日清、日露戦争の前夜によく似るようになっている。

いまこそ、日本国民は110年、120年前に立ち戻って、日清、日露戦争前夜の気概を、取り戻さなければならない。安倍内閣が集団的自衛権の行使をめぐって、憲法解釈を改めようとしたのに対して、朝日新聞は「近づく 戦争できる国」という大きな見出しを掲げて、反対した。

だが、日本が「戦争できる国」だったからこそ、日清、日露戦争に当たって、独立を守ることができた。国の大本である国防をおろそかにして、「安きになれて」はなるまい。

私は5千円札を手にするごとに、なつの言葉を思い出して、噛みしめる。皆さんも、そうしてほしい。

杜父魚文庫
| 加瀬英明 | 19:51 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







日本の新聞は再生できるか     加瀬英明
新聞界に王者として君臨してきた、朝日新聞の落日が始まった。

朝日新聞社は8月に、いわゆる従軍慰安婦について、32年間にもわたって読者を騙して、虚偽報道を行ってきたことを認めて、撤回した。社長が逃げ隠れしていたが、何日もたった後に、謝罪記者会見を行った。

私はもう50年にわたって、雑誌の紙上を舞台として、朝日新聞が亡国的な報道を行ってきたことを、攻撃してきた。

昭和50年に、月刊『文芸春秋』に「最近朝日新聞紙学」という題で、27ページにわたる長文の批判を寄稿したところ、朝日新聞社が名誉毀損で、私と文芸春秋社を訴えるといってきた。裁判は望むところだった。

福田恆存氏をはじめ保守派知識人が、私の応援団をつくってくれることになった。ところが、著名な財界人が仲介に入ったために、裁判は実現しなかった。

日本の新聞は先進諸国のなかで、民主社会を脅かす、もっとも遅れた面をつくっている。

欧米の新聞が民衆のなかから生れてきたのに対して、日本の新聞は明治に入って、藩閥政府に不満を持つ武士がつくった。これらの武士はエリート意識が強く、蒙昧な民衆を導くという、使命感に駆られていた。


■日本の新聞の読者に対する目線

今日でも、日本の新聞は誰に頼まれたわけでもないのに、「社会の木鐸」であることを、自負している。欧米では新聞が読者と対等な関係を結んでいるが、日本では読者を上からみる目線で、見降ろしている。

日本の新聞は「これを読め」という態度で、読者に接してきた。32年間にもわたって、虚偽の報道を撤回しなかったのは、読者を大切にしてこなかったからだ。


■欧米紙と日本紙の投書欄は何と違うことか

アメリカや、ヨーロッパの新聞でもっともおもしろい欄は、投書欄だ。その新聞の記事や、論説に対する読者の批判を、率先して掲載している。なかには、辛らつなものもある。

ところが、日本では産経新聞も含めて、投書欄は愚にもかない内容のものばかりで、批判をいっさい受けつけない。

もし、カレントの読者のなかに、朝日新聞を購読されている会員がおいでだったら、孫や、子供に読ませないことを、お勧めしたい。次代の日本人が嘘つきに育ったら、たいへんだ。

今回の朝日新聞社社長による謝罪記者会見が、日本国民の目を覚ますきっかけとなることを、期待したい。

■聖書から学ぶこと

私はキリスト教信者ではないが、旧約、新約聖書に親しんできた。

新約聖書の『ヨハネの福音書』のなかに、妙に気にかかる言葉がでてくる。キリストの「私が来たのは、彼らがいのちを得、またそれを豊かに持つためです」(10―10)という言葉だ。

いったい、英語ではどういうのか、英語の聖書をあたってみた。I have come that men may have life and may have it in all its fullness.と、なっていた。

しばらく後に、ドイツ語の聖書もめくってみた。Ich bin gekommen, damit sie Leben haben und es in Fülle haben. とあった。

これは、キリストの言葉のなかでも、有名なものだ。

■生きる心と生かされる違い

キリストがやって来たことによって、人間が罪から解き放されたので、生き生きと生きることができるという、痛烈な叫びである。

英語や、ドイツ語で読むと、人間は眠っていないで、生命力の限りにいっぱいに生きろという、血が滾(たぎ)るような響きがある。ところが、日本語になると、このように燃えるようなところがない。どうも弱々しいのだ。

英語とドイツ語とでは、人間が生命(いのち)を持つというのは、have it / Leben habenであるのに対して、日本語では「それを‥‥持つため」といって、生命を持つというよりは、「持たされている」という感じが、強い。

英語やドイツ語であると、個人が生命を持つのに、日本語では共有のものを持たされているようなのだ。

■自己意志の表現の力

I haveというと、きわめて強い。「持つ」対象となっている物にも、「私」の強い執着がこめられている。そして、自分の行為まで持つことができる。I have comeとI came、I have seen、I sawとでは、同じ「私は来た」と「私は見た」のであっても、強さがちがうものだ。

■自己存在と所有価値との接点

日本語で「私は鉛筆を持っている」といっても、鉛筆があたかも共有物であって、私が預かっているようにきこえる。自分だけの鉛筆だ、という叫びがない。

「私は金を持っている」「傘を持っている」といっても、共有物である金を、一時、預かっているような感じが強い。I have moneyとか、my umbrellaというより、弱い。

日本人の生活のなかから、haveが欠落してしまっているように思える。それだけ、自我が希薄なのだろう。

日本では、ほんとうは不十分なものであるのに、そのものにあたかも大きな力が備わって、権威があるかのように、まわりから作り上げてしまうことが、しばしばみられる。戦前、戦時中の神国思想や、軍国主義のように、まったく得体の知れないようなものが、コンセンサスとして権威をふるって、横行する。

日本では、人々が得体が知れないものに、寄りかかりやすい。

■“暗愚な帝王”と“暗愚な新聞”

私たち日本人には、どこか無意識に満場一致を求める心情が、働いている。コンセンサスに従おうとする力が、強く働いている。

このようなことは、ほとんどの日本人が成熟した自己を持っていないことから、起ると思う。大多数の日本人が不十分な、中途半端な自我形成しか、行われていない。多くの日本人にとって、自我の中心が自分のなかにあるよりも、集団のなかにある。

自分を1人ぼっちの人間として、意識することがなく、自分が属している集団の部分としてみる。しっかりした自分を、確立することがない。そのために、得体が知れないコンセンサスによって、支配されてしまうことになる。

日本では、首相にせよ、大企業の社長にせよ、周囲が作ることが多い。本人が自分の力によって、その地位を勝ち取るよりも、まわりがそのように作るということが、みられる。集団が中心を探り合ううちに、その人にコンセンサスの中心としての役割が、与えられる。

かつて、鈴木善幸首相がそう呼ばれたが、宇野宗佑首相や、鳩山由紀夫首相や、菅直人首相のような“暗愚な帝王”が担がれることが、起こる。


朝日新聞が擁護してきた日本国憲法が、よい例だ。日本国憲法は「暗愚な憲法」なのだ。日本国憲法は、今日の世界の現実にまったくそぐわないものと、なっている。

人間生活では、あらゆるものが相対的であって、流動しているために、人が状況に合わせてゆかねばならないはずである。

憲法も道具の1つであり、人間生活の手段であって、目的となってはならない。道路交通法と同じような、生活の道具だ。道交法を時代にかなうように、しばしば改めなければならないのと、同じことだ。

現行憲法を墨守するのは、中世的で不合理な不動の宇宙観を、持っているのに均しい。

日本人はなぜ動かない物に対して、憧れを持つのだろうか。いったん、怪しげなコンセンサスが固定化してしまうと、全員が寄りかかってしまうために、壊すことがきわめて困難になる。

朝日新聞は戦後の自虐史観を支えてきたが、「暗愚な新聞」であってきただけではなく、日本の国家としての存立を、脆いものとしてきた。

日本の新聞は、反社会勢力であってきた。“木鐸”という気取りを、捨ててほしい。


杜父魚文庫
| 加瀬英明 | 00:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







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